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大阪地方裁判所 昭和34年(わ)860号 判決

主文

被告人曹正男を懲役三年に、

被告人張健石を懲役二年に各処する。

被告人両名に対し、未決勾留日数中各八〇日をそれぞれその本刑に算入する。

被告人張健石に対し、本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人曹正男、同張健石はいずれも金徳治の友人で、昭和三三年九月初頃同人が会長となり、相互の親睦をはかる名目の下に知り合いの少年らを多数集めて結成された浪花会の会員らとも交際のあつたものであるが、昭和三四年一月七日夜、金徳治が南の繁華街で羽振りをきかせている明友会の会員から、その幹部のもとへ呼出しを受けたので、浪花会の幹部の元東琴が同人にかわり出向いたところ、右明友会の友諠団体である大阪市天王寺区舟橋町三九番地所在の小田組の事務所に連れこまれ、そこで小田組の姜君弼から言葉つきが生意気だなどといんねんをつけられ、果ては木刀で殴打され、更に靴履きのまま顔面を蹴られるなどの暴行を受けた。元東琴は直ちに浪花会々員らのたまり場所となつていた同市西成区東田町八二番地宝塚ホテルへ戻り、そこへ集つた会長の金徳治、会員の高錫哲、康憲一、高久嗣、金徳治の友人で浪花会々員らとも交際のあつた金国河及び被告人曹正男らに右の事情を話しその無念を訴えた。それで金徳治は翌八日朝、元東琴の兄の元勇男にこの旨を伝えたので、元勇男は前記宝塚ホテルに赴き、顔、腕などをはれ上がらせ、ふとんに臥して口惜しがつている弟元東琴の様子を見て痛く激昂し、小田組に対して殴り込みをかけ、この仕返しをしようと堅く決意し、金徳治もまたこの企てに賛成した。そこで元勇男は殴り込みに要する日本刀、短刀、手鈎、木刀などの兇器の取り集めに馳け廻り、金徳治は浪花会々員らに右の計画を伝えて人数のかり集めに奔走した。そうして同日午後一一時すぎ頃、元勇男、金徳治及び右の計画を伝え聞いた被告人曹正男、同張健石並びに元東摂(元東琴の弟)、金国河、姜張慶(元勇男の友人)、崔繁盛、高錫哲、康憲一(浪花会々員)、許環宝、金義男(浪花会々員)、高久嗣、金貞吉(浪花会々員、朴正男、高繁夫、文幸吉(浪花会々員)、文炳道、崔正盛、趙竹夫、金光秀らは、同市東成区大今里本町一丁目一六七番地高橋修子方の元勇男の居室に集り、元勇男、金徳治、元東摂、金国河、姜張慶、崔繁盛、高錫哲、康憲一、許環宝、文幸吉らは、元勇男らによりその場に集められていた日本刀、短刀、手鈎、木刀などを振るつて前記小田組事務所に殴り込みをかけ、場合によれば同組々員らを殺害するに至るべきことを予期しながら元東琴の復讐のためにはかかる結果もまたやむなしと考え、ここに暗黙のうちに同組々員に対する殺害を共謀し、被告人曹正男、同張健石及び金義男、高久嗣、金貞吉、朴正男、高繁夫らは、右の如く元勇男外九名の者が小田組々員に対して殺害の意図までも持つていることには考え及ばなかつたが、共に同組々員らに傷害を負わせて復讐を遂げる決意のもとに右の企てに賛成し、ここに上記元勇男らとともに同組事務所を襲撃することに一決した。そして元勇男、金徳治らの指示のもとに、四、五名ずつが一組となつて出発し、前記小田組事務所附近の同市天王寺区山小橋町真田山公園石段下に集合の上、一せいに同組事務所を襲撃する手筈をきめ、被告人曹正男及び元勇男、元東摂、金徳治、金国河、姜張慶、崔繁盛、高錫哲、許環宝、金義男、高久嗣、金貞吉、朴正男、高繁夫、文幸吉、康憲一、崔正盛、趙竹夫らは日本刀、手鈎、庖丁、短刀、木刀などの得物を手にして〔即ち手鈎一本(証第二一号、第二六号)さばき庖丁一挺(証第一五号)は金国河、手鈎一本(証第一六号のうち符第五一号の一)は崔繁盛、短刀一口(証第一三号)は高錫哲〕、元勇男、元東摂、金国河、崔繁盛、高錫哲、許環宝、金義男、金貞吉、朴正男、文幸吉、康憲一、崔正盛、趙竹夫、文炳道、金光秀らはタクシー四台に分乗し、金徳治は、張慶を自己の運転する単車の後に乗せて、順次真田山公園附近に至り、又被告人曹正男、張健石及び高久嗣、高繁夫はいずれも徒歩で出発し、途中各自棍棒を拾つて武器として持ち、ともに真田山公園へ向つたが、

一、金徳治、姜張慶、元東摂、金国河、崔繁盛、許環宝、朴正男、文幸吉、崔正盛、金光秀らは、前記真田山公園東側、小田組事務所より約八〇メートル西方において、浪花会側の攻撃を迎え撃つべく木刀などを手にして出て来た姜君弼(当時二三才)金泰山(当時二〇才)ら小田組々員四、五名と市電道路をへだてて対峙し、金徳治が単車を運転し、後に乗つた姜張慶が木刀を振り廻しながら同組々員らの中に突つ込んで行つたのを合図に、各自所携の得物をふるつて一せいに襲いかかり、同月九日午前零時頃、同市天王寺区舟橋町四三番地小中幹一方前路上において、崔繁盛は姜君弼に対しその背後から所携の手鈎(証第一六号のうち符第五一号の一)をその背中めがけて打ち込もうとして失敗するや、とつさに後から同人に組みつき、そのよろめくところを元東摂が日本刀でその頭部に一刀を浴せ、更にその場に坐り込んだ同人の頸部に切りつけ、続いて腹部を突き刺し、又崔繁盛は所携の匕首でその腰部を突き刺し、よつて同人をして間もなく同区木野町二番地松井病院前路上において、頸部割創により左頸静脈が切断せられたことに基く大出血の結果出血失血死するに至らしめ、

二、元東摂、金国河、崔繁盛、金光秀らは、更に前記場所から逃げ出した金泰山を追いかけて附近の袋小路に追いつめ、同日午前零時すぎ頃、同区小橋元町八七番地高田俊夫方前路上において、元東摂が日本刀で同人の腕に切りつけ、金国河が手鈎(証第二一号、第二六号)を同人の背後からその背中に二、三回打ち込み、更に振り向いた同人に対し正面からその頭部に力一杯手鈎を打ち込んだが、手鈎の柄が折れ、同人が手鈎の先を頭部に打ち込まれたまま小田組事務所に逃げ帰つたため、同人に対し約四ヶ月間の加療を要する頭部挫創及刺創、左肘関節部切創、前額部挫創、左上腕、前腕骨切創、左肘関節脱臼、右拇指挫創、背部打撲傷及刺創の傷害を負わせたにとどまり、死亡せしめるには至らず、

三、更にそのあと同日午前零時すぎ頃、元東摂、金国河、崔繁盛、高錫哲、康憲一、文幸吉らは、タクシーに同乗し、同市東成区東小橋北之町一丁六五番地島田病院前路上に至つた際、小田組の李一雄(当時二二才)江波戸克知らが前記金泰山を同病院にかつぎ込んでいるのを見て、直ちに車を停めて同人らに襲いかかり、康憲一は李一雄が身を防ぐために持つていたごみ箱のふたを所携の木刀で殴りつけ、高錫哲は短刀(証第一三号)で同人の大腿部を突き刺し、崔繁盛が後からその肩をもつて同人をその場に転倒させ、仰向けに倒れた同人に対し、金国河がさばき庖丁(証第一五号)でその肩の辺りを突き刺し、元東摂は日本刀でその腰部を上から力一杯突き刺しよつて同人をして同日午前零時三〇分頃、前記島田病院内において腰部の刺創により腎臓及肝臓が刺通され右腎動脈が完全に切断されたことによる大出血に基く急性貧血の結果死亡するに至らしめ、

四、被告人曹正男、同張健石は、同日午前零時すぎ頃、高久嗣、高繁夫ら外前記浪花会の会員らと共同して小田組々員の身体に害を加える目的で、被告人曹正男は匕首一口及び直径約二センチ、長さ約一メートルの棍棒一本を、被告人張健石は右同様の棍棒一本をおのおの準備して、高久嗣、高繁夫らとともに、前記真田山公園附近に集合し、もつてそれぞれ兇器準備集合をなし、

第二、被告人曹正男は、別表1ないし38記載のとおり単独又は同表共犯者欄記載の者らと共謀の上、昭和三三年九月二六日から昭和三四年一月八日までの間に、前後三八回にわたり、大阪市生野区猪飼野東一丁目一二番地森実一方前路上ほか三七ヶ所において、伊藤己代次ほか三七名の所有又は保管する自転車三七台、原動機付自転車一台を各窃取し、

第三、被告人張健石は、

一、昭和三三年七月一九日午後一〇時頃、大阪市生野区猪飼野東一丁目六一番地大同電線株式会社前路上において、遠藤勝巳ほか一名所有の軽自動車一台、雨合羽一着、運転免許証一枚(時価合計約一六〇、五〇〇円相当)を窃取し、

二、同年一〇月一四日午後、自己の運転していた小型三輪自動車を過つて平野将枝(当時四〇才)の運転するスクーターに追突させたが、同人がこれに対して文句をいつたことに憤慨し、同日午後二時三〇分頃、同市浪速区恵美須町四丁目二八番地日満電気株式会社前路上において同人に対し、やにわにその顔面を手拳で殴打し、頭突きをくわせ、或いは足蹴にするなどの暴行を加え、よつて同人に対し約一〇日間の通院加療を要する左眼瞼部挫創の傷害を負わせ、

三、同月一七日夜、布施市足代一丁目一〇〇番地東劇横の喫茶店内において、顔見知りの雲雀泰男(当時一九才)に自分の飲食代金をも払わせようとしたが、同人がこれに応ぜず、又同人がテレビを見る邪魔になつたりしたことに憤慨し、同日午後九時すぎ頃、同店表路上において同人に対し、いきなりその顔面を手拳で殴打し、よつて同人に対し約四日間の加療を要する口唇裂傷の傷害を負わせ、

たものである。

(証拠の標目) ≪省略≫

(被告人曹正男、同張健石の判示第一ノ一ないし三の事実につき、いずれも殺意を認めなかつた理由)≪省略≫

(法令の適用)

被告人曹正男、同張健石の判示第一の一、三の各所為はいずれも刑法第一九九条、第六〇条に、判示第一の二の所為はいずれも同法第二〇三条、第一九九条、第六〇条に、判示第一の四の各所為はいずれも同法第二〇八条の二第一項、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、被告人曹正男の判示第二の各所為、被告人張健石の判示第三の一の所為は、いずれも刑法第二三五条(共謀にかかるものについては更に同法第六〇条)に、被告人張健石の判示第三の二、三の各所為は、いずれも同法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に各該当するが、判示第一の一ないし三の各罪については、被告人曹正男、同張健石は軽い傷害の犯意で、重い殺人、同未遂の結果を生ぜしめたもので、共犯者の殺意は右各被告人らの予期しないところであるから、刑法第三八条第二項により判示第一の一、三の各罪についてはいずれも同法第二〇五条第一項、第一の二の罪についてはいずれも同法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に従い処断すべく、右被告人両名の判示第一の二の傷害の各罪、判示第一の四の兇器準備集合の各罪、被告人張健石の判示第三の二、三の傷害の各罪につき、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上被告人曹正男の判示第一の一、三の各傷害致死、判示第一の二の傷害、判示第一の四の兇器準備集合、第二の各窃盗、被告人張健石の判示第一の一、三の各傷害致死、判示第一の二の傷害、判示第一の四の兇器準備集合、第三の一の窃盗、二、三の傷害の各罪は、いずれも刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条、第一〇条により、右各被告人につき最も重い判示第一の一の傷害致死罪の刑に、同法第一四条の制限に従い、それぞれ法定の加重をなした各刑期範囲内において、被告人曹正男を懲役三年に、被告人張健石を懲役二年に各処し、同法第二一条により右各被告人に対し未決勾留日数中各八〇日をそれぞれその本刑に算入し、なお、被告人張健石については、同被告人が判示第一の傷害致死、傷害の事実につき、その犯罪実行行為に加担することなく、終始消極的な態度であつたこと、判示第三の一の窃盗につきその被害者において既に被害品の還付を受けていること、判示第三の二、三の各傷害の事実につき、被害者に弁償金を支払うなど誠意をもつて謝罪し、被害者も既に宥恕の意を表していること、その他右被告人の家庭状況等諸般の事情を考慮して、同法第二五条第一項により右被告人に対し、本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書に従い、被告人らにこれを負担させないこととする。 (被告人曹正男、同張健石の判示第一の一ないし三の事実につき公訴棄却をしなかつた理由)

被告人曹正男、同張健石の各弁護人は、同被告人らの判示第一の一ないし三の事実についての検察官の殺人、同未遂罪としての起訴は、同被告人らの判示第一の四の兇器準備集合罪が起訴された後になされたものであり、かつ兇器準備集合罪は右の殺人、同未遂罪に吸収され、別罪を構成しないから後の起訴については一罪につき再度の起訴があつたものとして公訴棄却をすべきである旨主張する。しかし兇器準備集合罪は、個人の生命、身体、財産という個人的な法益をその保護法益とする点では一面殺人罪の予備罪的性格を有するけれども、又他面二人以上の集合を要件としている点において、公共的な社会生活の平穏をもその保護法益とするもので、単なる殺人等の予備罪とは別個独立の犯罪であると解されるから、兇器準備集合罪に該当する行為が発展して殺人、同未遂等の犯罪がなされた場合においても兇器準備集合罪は右殺人、同未遂等の罪に吸収せられることなく、これらの罪と併合罪の関係に立つものと解するを相当とする。

従つて弁護人らの右主張は採用しない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西尾貢一 裁判官 萩原寿雄 神田忠治)

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